【メディアレポーター・翻訳者・通訳士】福永なみさんインタビュー

2020年5月5日

ペラペラ

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福永 なみ
神奈川県鎌倉市出身。大学院卒業後、テレビ・ラジオのレポーターをはじめ、雑誌のライター・エディターとして世界各地を飛び回る。同時に、ハリウッド映画「ラスト サムライ」の日本撮影現場や各種商談、文化交流やスポーツイベントなどで通訳者としても活躍。

語学力を活かし世界を相手に活躍する方にインタビューを行い、その仕事の魅力や大変だったこと、失敗談などのウラ側をお聞きする企画「ペラペラ先輩インタビュー」。

第一弾に登場していただく先輩は、メディアレポーターや通訳者、翻訳家など様々な職種を経験してきた福永なみさんです。

英語を好きになったきっかけ~留学体験のこと~

——英語を好きになったきっかけを教えてください。

鎌倉に住んでいたので外国人を見かけることも多く、小さい頃から洋楽が好きでコンサートに通い、レコードを買っては歌詞カードを眺め、深夜ラジオに耳を澄ましていました。

中でもベストヒットUSAというラジオ番組をはじめ、ロックに夢中で。そのうち海外アーティストに会ってみたくなり、アメリカに行きたいと思ったのがきっかけですね。

——なるほど。それで英語を学ぼうと思ったのですか?

そうですね。ロックに憧れていたので、なんとなく英語圏のサブカル的な文化に触れて、英語を喋れるようになりたいなと思っていました。

——どのように英語学習をしていたのですか?

出来ることは何でもしました。小さい時から個人レッスンを受けたり、NHKのラジオ英会話や、リンガフォンというテキストとレコードがセットの音声教材を親に買ってもらいリスニング力を養ったり、いろいろ試しました。

——英会話教室などにも通われましたか?

行かなかったですね。知り合いのツテを頼り、英語圏の先生に個人レッスンをつけてもらいました。

最初は外国人に慣れるためという感じで、正しい紅茶のカップの持ち方など、お作法の指導もありましたね。

——英語を習得する際に苦労された点などあれば教えてください。

オーストラリアに留学した時、学校やラジオで習っていたアメリカ英語とは異なる表現や発音にとまどい、同じ英語でもずいぶん違うことに驚きました。

大学の授業をはじめ日常的なやりとりでも、ついアメリカ英語が口につき、その都度、直されるので慣れるまでに苦労しました。

——政府奨学生としてオーストラリア留学に行かれたそうですが、どのような経緯でしょうか?

大学1年の時、アメリカでのホームステイを斡旋する旅行会社の紹介で観光も兼ねて滞在したのですが、「自分は結構、英語が上手だな」と思ってしまいました。

それで大学2年が終わった時にきちんとアメリカに留学したくなり、校内の留学制度を見つけ出したのですが、TOEFLのスコア提出が必須なのにTOEFL受験の申し込み期限はすでに過ぎていた。せっかく次の目標が定まったのにと肩を落としていたところオーストラリアと言う選択肢があることを知ります。

アメリカは多分9月だったのですが、オーストラリアは新学期が始まるのが2月なので、「とりあえず試してみよう」という感じでTOEFLを受け、留学申請してみたら運良く受かった。当時、慶應義塾大学とメルボルン大学の交換留学制度が開始されてから2年目で、私は2回生として行くことが出来ました。

ところが、留学には1年間行ったのですが、自分が習った英語が通じませんでした。

オーストラリアは基本的に英国式の英語が主流で “have” と”take”の動詞の使い方が異なります。“I’d like to have a shower.” となる。ついアメリカ式に”I’d like to take a shower.”と言うと ”You can’t take a shower, can you?” と言う感じで半ば揚げ足取りのように直される。

でもそんなに強い口調で訂正されるのではなく一種の異文化コミュニケーションだったのでしょうが、当時は気を悪くしたのかと心配になったり、言いよどんだり、神経質になってしまいました。

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——オーストラリア留学はどのような感じだったのですか?

大学に行きましたが、どの授業を取るべきか誰もアドバイスを与えてくれず、それまで日本で学んでいた英文学の教室を覗いてみました。でも授業には全然ついて行けず頭を抱えてしまった。喋れないし、何から手をつけて良いのか分からない。

毎週4、5冊、読書リストが出るのですが、本を探すのすら一苦労。読破できず、クラスは少人数制で読書感想を発表する番はすぐに回ってくる。一言も発することが出来ず、打ちのめされました。

住むところはインターナショナルハウスという寮に入ったのですが、しきたりがたくさんあり、夕食はアカデミックガウンを羽織って席につきます。しかも当時はアジア人と白人とで席が自然と別れ、アジアから来た留学生のテーブルに混ぜてもらうことが多かった。せっかくオーストラリアまで来たのに現地の学生の輪にも入れず焦る気持ちもありました。

最初の1学期くらいは慣れないことが多く落ち込んでいたのですが、次第に昼食やお茶の時間に声をかけてくれる友達が出来、今度は寮を出て一緒にシェアハウスに住むことに。遊びも増え、社交の輪も広がって。

そのおかげか帰国時には英語の聴き取りがずいぶん出来るようになり、かなり自由に喋れるようにもなりましたが、体重が10キロ増えるというおまけつきでした(笑)。

——政府奨学生は成績評価の係数が2.30以上でなければならないと伺いました。

当時はそういうのがありませんでした。最初の留学は大学間で交換留学制度が締結されていましたので、TOEFLのスコアと多分1、2年生時の学業成績で行けたのですが、二度目はオーストラリア政府奨学生として大学院へ留学し、面接など厳しかったです。

オーストラリア大使館へ赴き、担当外交官との面接の場で留学に向けた熱意や学びたい分野について、かなりつっこんだ質問を受けました。

英語を使った仕事のこと~メディアレポーター~

——大学を卒業してからどんな仕事をされたのですか?

大学院を出てすぐ企業に就職したのではなく、テレビのレポーターのオーディションに臨み、受かったのでフリーランスとして仕事を始めました。

——メディアレポーターとは、どのような仕事ですか?

テレビなどのメディアに企画を出し、取材結果を現場やスタジオで報告する仕事です。裏方の仕事もかなり含まれ、取材対象者を決めたり、ロケハンに行き撮影許可を取ったり。デスクやディレクター、撮影や音声の担当、編集の方々、そしてプロデューサーにテレビ局の方など大勢の人達との連携作業も含まれます。

初仕事はいきなりニュージーランドへ取材に行き、テレビカメラに向かってレポートをまとめ、現地の政治家にインタビュー。何十人ものスタッフがひしめくスタジオ撮影や徹夜続きの収録なども経験しました。

海外の街頭インタビューでは、まんべんなく生の声をすくうため出来るだけ簡潔に英語を操る工夫も必要ですし、その結果、視聴者の琴線に触れる何かを届けられれば頑張りも利きます。そして何より、英語も上達します。

とは言うものの仕事は大変で、毎回「どうしよう」と真っ青になりながらこなして行きましたが、取材の面白さを知り、十人に話を聞けば十の声があることを実感しました。

——いきなりカメラの前に立つのはかなり緊張しそうですね…

正直、口から心臓が飛び出るほど怖かったですね。

特に震え上がったのは、日本の同時通訳の第一人者で國弘正雄さんという方がいらっしゃいましたが、その方と海外に取材に行った時です。國弘さんが現地の首相をはじめ高官に、私はその他大勢に話を聞くというスタイルでしたが、正確に英語を話すことはもちろん、物を知らない私にとって万事恐れ多く、ものすごく緊張しました。それでも元気良く、楽しそうにレポートするわけで、撮影中にNGをたくさん出してしまいました。

——メディアレポーターの仕事で苦労された点や印象に残っていることを教えてください。

視聴率などもありますし、テレビは特に大変ですよね。自分よりずっと偉い方が共演者で、私の方が出演時間が長かったと文句を言われたこともありました。プロダクションに属していれば事務所が対処してくれますが、私は一人で動いていたので苦労しましたね。

——撮影の裏側はどのような感じなのでしょうか?

どうしても欲しいネタがある時に、ストレートな英語でがむしゃらに話を取りに行くよりも、礼儀正しく洗練された物の言い方をすれば相手も心を許す。ぽろっと本音が出たり、面白い話が展開されればやっぱり嬉しいですよね。

通訳者が立ち会うとワンクッション生じるためにその間に次の質問や話題を考えることが出来ますし、戦略的に都合が良い場合もあります。でも、自分から直接英語で話しかければ取材対象者から個人的に信頼されることもあるでしょう。言葉が出来るメリットはすごく多いと実感します。

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英語を使った仕事のこと~コーディネーター~

——海外メディアの日本取材のコーディネーターとは、どんな仕事でしょうか?

例えば海外のテレビ局が岡田さんにインタビューしたいという場合、事務所に話を通しアポを取り、撮影隊が来日する前に岡田さんが心地よく話してくれるような撮影現場の環境を備品から何から整える。
そして台本をもとに海外のディレクターと話し合い、彼らの来日を出迎え、取材撮影当日は岡田さんが素敵に見えるようディレクターやカメラマン、音声係と段取りを決め、岡田さん側のスタッフの了解を得る。
さらに岡田さんの車の手配はもちろん、撮影終了後に打ち上げを予定しているなら隠れ家レストランを押さえておく。などなどたくさんあります。日本に不慣れな海外スタッフのお世話もありますし、アシスタントディレクターのような仕事や、にわか観光ガイドになったりすることも。

また、岡田さんのマネージャーさんとの交渉も必須で、8時過ぎの撮影はお断りと言われたら午前中に設定し、岡田さんが英語を話さなければ通訳もする。限られた予算と時間内で一人何役もこなす仕事がコーディネーターです。

——なろうと思ったきっかけは何ですか?

先輩が仕事を廻してくれたのが最初だと思います。私は雑誌の編集も経験していたので、海外に取材に行く際に様々な準備をはじめ現地を案内してくれるコーディネーターを雇うことが多く、仕事の内容は掴んでいました。

——コーディネーターの大変な点はどこですか?

特に海外メディアの場合、しょっちゅう要求が変わる点です。例えば急に鉄道駅で撮影と言われ、撮影許可がないのにスタッフが撮影を始めてしまい、叱られたり。駅構内の撮影には腕章をつけて臨む条件で準備もしたのに自国では腕章なんかつけたことがないとその場で拒否され、押し問答になったり。
いくら事前に詳細なやりとりを重ねていても現場で食い違いが生じることも多く、大変でしたね。

——面白かったことを教えてください。

裏話を聞けたり、出来上がった放送を目にして取材時の苦労や失敗を思い起こしたり。普段の生活では得難い経験を積むことが出来ます。

——ちなみにギャラは良かったですか?

ギャラはそうでもなかったですが、普通ならお目にかかれない方にお会いし、目から鱗のお話を伺うこともあります。あとはスタッフが一丸となり、もの創りに取り組む高揚感や連体感も楽しかったです。

制作関連の仕事では、商談の通訳をする時とはまた違う緊張感と面白さがありますね。今はアプリが通訳をしてくれる時代ですし、事前の情報収集もはるかに充実しています。それでも「この人がいてくれると安心」と思っていただければ、その仕事はかなり成功したと言えるのではないでしょうか。

——コーディネーターとして活躍するにはどんなことをすれば良いですか?

アシスタントや秘書の方の仕事と同じで、要望を察知してそれに応える。そのためには事前の準備と段取りの手際の良さが問われます。

英語を使った仕事のこと~通訳~

——通訳とはどのような仕事か、簡単に教えていただけますか?

通訳には様々なランクがあります。私の場合は1対1の商談や文化体験の時に解説をすることも多く、またウィスパリングと言って発言者の耳元でささやくように通訳することもあります。

あとはパナガイドと言うチャンネルで言語を切り替えられる無線の音声ガイドシステムを使い同時に訳したり、2~3分の内容をメモを取りながら聴き取り、訳していく逐時通訳もあります。また社内会議などで複数の人たちが発言し、意見交換するのを聴き分け、通訳していく仕事もあり、色々なレベルがあります。

——通訳士の資格は取られたのでしょうか?

通訳士の資格は取りませんでしたが、TOEICで高得点を出しました。ちゃんと資格を持っている方も多いと思います。

——通訳の仕事をされていて緊張した場面は?

外資系の企業には英語がペラペラの方が大勢いらっしゃいますが、中には苦手な社員もおり、そういう方の通訳をしている際に少し大雑把に訳すと英語が堪能な方にその場で訂正されて大いに反省することも。どんな場面でも緊張しますね。

また、結構英語が得意な方で、不明瞭な箇所や言葉に詰まったところだけお願いということもあり、それはそれで難しいし、気を遣います。

職種によってそれぞれ専門用語がありますので、事前に準備が十分ではない状況で突然「行ってこい」と言われる時は直前までかなりナーバスに。
またパナガイドを使って訳している方が集中出来て楽なのですが、隣で別の人が通訳をしている場合もあり、音が被って聴き取りにくかったり。なるほど、そう訳すのか、と気が散ってしまうこともあります。

——通訳の仕事をしようと思ったきっかけは何ですか?

仲良くなった帰国子女の友人が通訳の仕事をしていたのですが、「Youもやってみれば」、と仕事を世話してくれました。当時はすごく給料が良かったのとイベントも盛んでしたし、初めて見聞きする仕事の現場や様々な背景を持つ方々にお会い出来ました。

自分の好きな英語が人の役に立つことを実感出来たのも嬉しかったですね。

——通訳の仕事をするにあたって、どういった学習をされましたか?

少しだけ通訳学校に通い、同時通訳の勉強をしたのですが、難しいのと覚悟が足りなくて挫折しました。その後しばらくして夏の短期集中コースを取ったのですが、そこではバイリンガルの人達に負けた感を持ってしまい、「あー駄目だなー」と思いながら、いやいや続けるうちに少しずつ上達。肩の力がふっと抜けてすらすら訳せる時もあり、常に劣等感と達成感の繰り返しでしたね。

——通訳を通して一番やりがいを感じた時のことを教えてください。

ああ、助かったと、喜んでいただけると嬉しいですね。特に、映画「ラスト サムライ」撮影時の通訳は良い思い出です。トム・クルーズさんをはじめ、渡辺謙さんや真田広之さんと言った素晴らしい日本の俳優陣、日本一の斬られ役と言われる福本清三さんなど、大物が集っていました。

映画やテレビなど、ジャンルによって通訳のレベルや知識、マナーなど、求められる要素が違うこともあり、現場が変われば人も変わりますが、毎回、経験を積む度にやりがいを感じています。

——通訳をされていて失敗談などはありますか?

訳すだけで良いのに解説を加えてしまったり、本当はいけないのですが良く聞き取れなかったらすぐに確認すべきなのにそのまま次へと進んでしまったことも。
話が長くてメモを取りきれず一部内容をすっ飛ばしたこともありました。

——通訳すること以外にも大変なことが多いのでしょうね…。

気を遣うことが多いですね。私は場が和やかになればと思ってしまう方で、コーディネーターみたいな性格だと思います。いくら素晴らしい通訳者でも、抜群の語学力があってもマナーが守れない人や目を合わせない方もたまにいます。

昼食時に、「話しかけないでください」とぴしゃり、「私、雑談は致しません」という方も。高い集中力を要するせいか、通訳をする際にかかるストレスは結構大きいように思います。

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英語を使った仕事のこと~翻訳~

——翻訳の仕事もなさっていたようですが、きっかけは何ですか?

本が出せるというお話をいただいたのと、あとは通訳をしながら「ちょっとこれ訳しといて」と言われることが多々あり、ありがたくお受けしようと思ったのがきっかけです。

——具体的にどんな仕事をされていましたか?

翻訳と一言で言っても様々な案件があります。私の場合、最初に頼まれたのがいつ頃かは覚えていませんが、日本語で署名記事を書いていたこともあり、英語の小説を和訳して欲しいという依頼が来て、半年くらいかけて出版社から翻訳本を出したことがありました。

あとはメールやビジネスで使用する書類を英語に訳したり、英文の広告コピーの和訳や、パンフレットの英訳などの仕事もあります。

——翻訳の仕事をするにあたって勉強などはしましたか?

いいえ、特にしていませんでした。

——翻訳の仕事で苦労されたことはありましたか?

ネットがない時代でしたので、どうしても読み解けない箇所を海外にいる作者に手紙を出して尋ねたり、英語が母国語の人に助けてもらったりしました。

今ならネットで調べられますし、すぐにメールで作者や版元、あるいは編集者に尋ねることも可能なので、ものすごく便利になったと思います。

——最近は翻訳をしてくれるアプリなどもありますよね。

ありますね。でも自動翻訳があれって言うくらい変なこともあるので、その部分を直す手間を考えると、特に文学関連の案件の場合は、辞書を頼りに一から取り組む方が早いと思います。

英語を使った仕事のこと~ライター・エディター~

——ライター・エディターの仕事をなさったきっかけを教えください。

知人の雑誌編集者に取材と執筆を依頼されたのがきっかけで、海外取材の特集記事やコラムなどを手がけてきました。

——”文字で相手に伝える”という点で文章力が問われる職種だと思いますが、どのような学習をしましたか?

4年間、正社員として編集プロダクションで働き、海外ガイドブックやJAL機内誌の編集部に在籍しました。取材は英語も出来るし得意だなと思っていましたが、日本語力は物書きレベルには及ばず、先輩にかなりしごかれました。

今は誰でも上手に文章を綴れるし、簡単に世間に発信することも出来る。コンピューターが誤字脱字を直してくれますし、言葉の統一もあっという間にやってくれます。署名原稿のオリジナリティが薄れてきていることも感じていて、コラムの書き出しの一文をコピペされ、出版されたこともありました。

——ライティングや編集を行っていた中で最も大変だった点は何ですか?

本当に泣いてしまう程書き直しが多かったことですね。夜中の3時にダメダシの電話がかかってきたこともありました。今はメールがあるのでそういう恐怖は緩和されていると思いますが。
書き直しを命じられないよう推敲を重ねすぎてもオリジナルの文章が持つ勢いが損なわれてしまいますし、書き直し恐怖症を克服するためには、ある程度の鈍感力も必要ですね。

——英語力を活かして様々な職種を経験されてきましたが、英語が嫌になったことはありましたか?

録音された自分の声を聞くと「発音がちょっとねぇ」と嫌になることはあります。自分で聞く声と録音された声って違うじゃないですか。母国語でない言語を使う時には自意識も高まりがちですし、自分の声を突きつけられるのはちょっと恥ずかしいですよね。

——人に英語を教える仕事をしようと思ったことはないのですか?

学生の頃に何度か経験があります。個人レッスンや、大手英会話学校で小学生のクラスを担当したこともありますが、人に教えるのはまた違う才能と技術が必要であまり向いていないと思いました。先生というのは生徒がやる気を出すよう発破をかけることも大切ですし、人を育てるのはとても難しい仕事ですね。

自分は教育の現場にはあまりそぐわないと感じました。留学時代に日本語を少し教えたこともありますが、忍耐を強いられましたし、生徒との距離の取り方も難しかったです。

——今まで携わってきた職種以外で試してみたい仕事はありますか?

美術やファッション、旅関連など心ときめく、楽しいことが好きなので、そういう分野にもどんどん出て行きたいと思います。厳しい商談の場とかは緊張しがちで(笑)。

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最後に~第二言語の習得について

——英語のほかにもドイツ語とイタリア語、フランス語を習得されていますよね。

フランス語はフレンチポップスの影響もあり昔から好きで、高校生の時にちょうどフランス語の授業があったのでかじりました。しかしその頃からロックにますます傾倒し、英語に熱中し始めたので、徐々にフランス語の勉強は疎かになっていきました。
そのことを少し後悔していたので、大学では第二外国語としてフランス語を選択し、再度向き合うことになります。

——言語習得は結構難しいと思うのですが、習得する際のコツなどあれば教えてください。

習得したと胸を張れるレベルにはまだ到達していませんが、英語で物を考えられるようになると、フランス語を学習する時も同じようにスイッチを入れやすくなるかもしれません。

最近イタリア語を始めたのですが、全くのゼロからスタートし、初級レベルのまま1月程イタリアに留学しました。シエナ外国人大学というところに行きましたが、日々鍛えられ、寝込みそうになるほど大変でした。聴き取りはいまだに不十分ですが、少しは喋れるようになりましたよ。

その大学には世界中からイタリア語を学びに来ていて、みんな下手でもペラペラ喋るんですよ。日本人の場合は尻込みする人が多く、少なくとも1人で5分間は喋り続けなさいと朝から晩まで教師陣に追い立てられ、辛いと思いながらも、間違いだらけでも仕方がないと腹を決め、頑張って喋ってみる訓練をさせられました。

——英語習得者として、これから英語を学ぼうとしている社会人や英語初心者に勉強のアドバイスやコツがあれば教えてください

学校の英語教育はあまり好きではなかったのですが、ある程度の年齢になってみるとその恩恵を感じることがあります。英文をノートに書き写してみたり、英語の本を読んだりすると記憶に残りやすいですし、受験勉強時代を思い出します。
私の場合は結構、手で覚えましたし、今でも通訳の仕事が入ると新しい単語やなじみの薄い表現、ちょっとした豆知識などをノートに書き込み、脳に刺激を与えています。

今はいろんなメディアを使って聴き取りの練習が出来るのでもっと活用すると良いですね。ただし勉強しすぎは逆に行き詰まることもあるので、旅先で使ってみるとか、異文化交流パーティーに顔を出して、誰かと親しくなって実践してみるとか。ちょっと心ときめく、楽しい工夫も必要かもしれませんね。

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ライター(詳しいプロフィールを見る

10歳までをフィリピンで過ごした英語と日本語のバイリンガル。優れた英会話力を活かし、初心者が抱く英語の疑問を解消する「ペラペラ英語塾」の記事を担当。また、英会話スクールやオンライン英会話、英会話カフェ等を体験してのレビュー記事も担当しており、体験したサービスの数は30以上を数える。

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