【英語塾講師・モデル】羽村アメリさんインタビュー

2020年5月5日

ペラペラ

羽村 アメリ
富山県出身。神田外語大学卒業後、株式会社空港ターミナルサービスにて案内業務、Walt Disney World社にてCultural Representative (親善大使)、株式会社BRICKsにて通訳や翻訳業務など勤める。現在は英語塾講師、モデルとしても活動中。

語学力を活かし活躍する方にインタビューを行い、その仕事の魅力や大変だったこと、失敗談などのウラ側をお聞きする企画「ペラペラ先輩インタビュー」。

今回登場していただく先輩は、英語塾講師・モデルの羽村アメリさんです。

英語学習について

——英語を好きになったきっかけは何ですか?

小学校6年生になったタイミングで、中学校から科目として加わる英語の準備をしようということで、母が英語塾に連れて行ってくれました。もともと姉が通っていた、先生が一人で運営している個人の塾なのですが、当時は英語が好きというわけではありませんでした。

発音に対して特に厳しい先生で、単語を1個発音するにも、正しく発音出来るまで5分~10分の時間をかけて指導するような厳しい先生でした。ですから当時は正直楽しくありませんでした。

しかし、いざ中学校に入学して授業で発音するとなったときに、皆から注目してもらえたり、テストでも良い点がとれたんです。人というのが出来るとやる気が出てくるじゃないですか?塾の先生のおかげでもありますが、出来るとやる気が出るからさらに勉強して、を繰り返していたら英語が一番得意になり、「英語って楽しいな」と思ったのが好きになったきっかけですね。

私は富山県出身なのですが、積極的に海外旅行に行く家庭ではありませんでしたし、周囲に外国人がいるわけでもなく、英語というものから閉鎖された環境でした。当時通った塾の先生が世界への扉を開いてくれた存在だったと思います。

——神田外語大学は外国語に特化した大学ですが、そちらを選んだのは英語を学びたいという理由でしょうか?

そうですね。ただ、高校生の時は具体的な夢がありませんでした。家が音楽の家系でしたので「じゃあ音楽なのかな」となんとなく考え、姉が通学していた音楽科のある高校に行くことになったのです。しかし、まだ音楽の道に行くべきなのか迷っていて、転科出来るように普通科を選択しました。

高校2年生の時に進路をどうするかとなり、「ピアノは違うな」「音楽はしたくないな」というのがまず自分の中で決まりました。じゃあ自分が今技術として手に持っているものって何なんだろう?と考えたときに、絵が好きだったので、「じゃあ美大に行きたいな」と思ったんです。でもそれもなんとなくだったんですよね。

美大に行きたいことを親に相談すると反対されたんです。言ってしまえば将来性がないということですね。「美大に行って何するの?」と言われて、実際私は何がしたいのか自分で曖昧だったのもあり、親に反対されても特にショックを受けませんでした。「あぁ、行きたかったな」くらいで。

じゃあ次に自分には何があるんだろう?と考えたときに、勉強で言ったら「得意科目は英語だよな」と思ったんです。

——大学時代、University of Queensland ICTEに留学をなさっていたようですが、留学を決めた理由は何ですか?

留学に行こうと思ったのは日本を客観的に見たかったからですね。

私が行っていた大学は本当に環境に恵まれていて、必修科目は全部英語でしたし、私自身も英語に特化した授業ばかり取っていました。大学在学中は、1日を通して英語を話している時間のほうが多かったんですよ。

ご飯を食べるときも英語しか話してはいけないという建物があって、そこでご飯を食べていましたね。基本的に友達とは授業外でも英語で話していたので、国内留学のような環境でした。

では何故英語を学ぶのに十分な環境から抜け出てわざわざ留学をしたいと思ったかというと、私が在学中にやっていた留学生サポートのボランティアがきっかけでした。

そこで留学生と話していて「自分が日本に対していかに無知か」ということを思い知りました。留学生から日本について意見を問われてもうまく答えられないことにはがゆさと恥ずかしさを感じました。

日本人なのに日本のことを知らない、日本の人のイメージというのもよくわからないんです。やはり私も怠け癖がつくもので、日本にいると日本について学ぼうと思わないんですよね。特に外語大という英語や海外の文化を学びましょう、という環境にいると余計に。

ですので一旦抜けて、日本を自分が外国人として見てみたい。実際に外国に行って周りの人たちの日本のイメージというのを見てみたいと思ったんです。

——半年間の留学ではどんな学習をしましたか?

語学留学です。一応レベル分けがされていて、レベル7までありました。テストがあり、私はレベル3か4で入ったのですが、レベル5からだと少し内容が専門的になってきます。レベル5になって1期くらいの頃に帰る時期になってしまったんですが、留学期間中は基本的に英語で英語を学びました。

今まで自分が理解していなかった文法を英語で学ぶことで逆にわかりやすかったです。

——その頃には現地にいる人と難なく英語で話せるようにはなっていたのですか?

そうですね。専門的な話になってくるのですが、英語というのはリズム感があって、強く読む音と弱く読む音があります。

私は弱く読まないといけないところを逆に強く読んでしまう癖があったのですが、自分ではその癖に気づいていませんでした。そこを先生に直されて発音が滑らかにできるようなりましたね。

発音がより洗練されたことと、会話表現の幅が広がったのは良かったです。あとは留学の条件として、TOEICの標準点を超えないと大学での単位に変換できないというのがあったので、半年で単語を2,000語くらい自分で勉強しました。

恥ずかしい話ではあるのですが、外語大入学時、私はTOEICを一度も受けたことがなくて、どういうテストかもわからずに受けたときに300点くらいだったんです。周りが700点、800点、900点を取ってる中で300点が1人という状態で。

留学先ではTOEIC対策はしてくれないので、TOIECに特化した単語帳と日本の参考書を持って行って勉強し、帰国後に再度受けたところ750点まで上げることができました。半年で400点くらいは上げて帰ってきたという感じです。そこもやはり留学での1つの成果かなと思います。

——留学中の英語学習で工夫したことなどあれば教えてください。

留学中にホームステイ先の人が私のために言ってくれたのは、「毎日絶対に1時間はテレビを見なさい」ということです。もちろん英語しか流れていないのでリスニング力の強化に繋がりました。最近有名になりましたが、TEDという英語のサイトなども先生に教えてもらい、とにかく英語の動画をたくさん観た覚えがあります。

動画内で聞き取れた単語やフレーズは口に出すようにしていました。さらに、表現の幅を広げるのに繋がると感じたものを書き留めて、意味を調べて何度も何度も口に出しましたね。

——なるほど。英語学習においてそれが効果的と思ったのですか?

思いますね。とにかく真似をすることが大事かなと思います。今でもニュース番組などで海外の方がインタビューに答えているのを見て、日常会話に使えそうだと感じた表現は即座に何度も口に出しながらノートに書き留めるようにしています。

——英語学習において苦労した点について教えてください。

苦労した点は実はそんなにないです。もちろん苦しいこともあるのですが楽しいことのほうが多くて。しいて苦労したことと言うと、やはり英語を初めて学んだ小学生の時でしょうか。ちゃんとした発音の基礎が積み上がるまでの期間が一番辛かったと思います。人は楽したいじゃないですか?基本の部分の積み重ねは大変ですよね。

もちろん他にも悩んだことはありますが、英語学習での悩みというよりは、専門的な内容が増えてきて先生の言っていることがわからないとか、周りが帰国子女で何を言っているかわからない、ついていけないという悩みでした。

逆に言うと、発音から英語学習が出来たという人はそんなに苦労しなくて済むのかなと思うんですよね。現在の日本の英語学習制度で言うと、少しずつ英語を必須として取り入れる年齢は早くなっていてはいますが、英語学習の方法、内容に改善余地がまだまだあります。

小学校で英語を取り入れたとはいっても週に1回や2回の授業ですし、中学校では会話を意識した発音や表現を学ぶというよりは、文法中心で先生の話を聞き机に向かってノートをとったり問題を解いたりという受動的な学習が主流になってしまっているんですよね。

正直私はあまり文法を学んでこなかったタイプなんですが、じゃあテストで点数が取れなかったかというとそんなことはないですし、やはり言語は人と話すためにあるものなので机に向かってひたすらやる、というのはやはり違うかなと思います。

——正しい発音は大人になってからだと身に付くまでに時間がかかるのでしょうか?

そうですね。ただ、中学生もいわゆる「大人こども」と言われる年代ではあります。英語に対しての知識がほぼゼロという意味では大人より良いのかもしれないですが、そんなに差というのはないと思います。苦労するという点では一緒です。

0歳~小学校低学年の英語を勉強として捉えていない年齢までは苦労せずに発音が出来ると思うのですが、小学校高学年になると意識して発音していかないと難しくはなってくるかなと思います。

——「これは学生のうちにやっておくと良い」英語学習法などあれば教えていただけますか?

聞き慣れない言葉にはなると思うのですが、フォニックスですね。要するに英語をどうやって発音するかというところから入っていくのは良いのかなと思います。

日本の50音「あいうえおかきくけこ」は英語でいうと「ABC(エービーシー)」と思っている人が多いですが、本当は「ア」とか「ブ」、「ク」などのように発音の音というのがちゃんとあって、それが日本で言う「あいうえお」と繋がっているフォニックスですね。

日本人は知っている英単語は読めますが、初見の英単語は読めない人が多いですよね。それはそのフォニックスがわかっていないからなんです。

——フォニックスはどちらかというとこども英語で習うイメージがあります。

そうなんです。小さいこどもは机に向かって勉強ができないので口で発することから始めるのですが、それがどんどん良い方向に向かっていきます。

例えば、”机”を英語で日本人が発音すると、”テーブル”と「ル」まで発音するのですが、フォニックスでは正しい口の形というのがあって、その口の動きで発音したとき、「ル」は言わないです。「テーブル」の”L”は、歯の裏に舌をくっつけて発音した時に勝手に出てくる音なので”テイボゥ”が正しいのです。

日本人は聞こえた音をそのままカタカナに変換してしまうので、どうしても「ル」まではっきり言ってしまいがちです。そのためネイティブスピーカーに伝わらないことが多く、シャイな日本人はますます人前で発音することにためらいを感じてしまうのです。

フォニックスを通してABCDEが一つ一つ、どういうふうに読むのか、どういう仕組みで単語が成り立っているのかを理解することで、初めて聞く単語であってもなんとなく綴りが書けるようになります。

空港会社での勤務について

——案内業務とはどのような仕事か、簡単に教えていただけますか?

インフォメーションカウンターのお姉さんです。空港内施設案内や、落とし物、迷子対応、あとは館内放送などもやっていました。

航空会社と勘違いされるのですが、完全に空港の職員になります。デパートのお店とインフォメーションが繋がっていないのと同じように、空港の中のインフォメーションです。

——案内業務の仕事をしようと思ったきっかけは何ですか?

初めは空港で働きたいとか接客がしたいという思いはなかったです。もともとは商社を頻繁に受けていたのですが、全部落ちました。

もっと幅を広げてみようと思って職業適性検査を受けたり、職業センターで相談をした際に空港を薦められて受けてみたのがきっかけだったので、やりたいと思ったというわけでは正直なかったです。ただ、今振り返って学んだものはものすごく大きかったと思います。

——学んだものとは具体的にどういったものですか?

英語というより「接客技術」というところです。自分では使えていたと思っていた敬語も実は全然使えていなかったんですね。学生時代にしていたアルバイトも接客をしていたので敬語を使っていたのですが、それ以上のものでした。日本語の語源から考えるというレベルでしたね。

——語源から考えるというのはすごいですね。

そうなんです。先輩に「”おもてなし”の意味を知っていますか?」と聞かれたのですが、なんとなく丁寧にお客様に接することかなという認識で、ちゃんとした意味は知りませんでした。

”おもてなし”というのは”表裏が無い”からきていて、自分がやりたいと思う”真心”からきている行為のことであり、それが”おもてなし”だと教わりました。作った笑顔や機械的ではない、心の入った接客をしていくことを教わりましたね。

お問い合わせはお客様からの言葉で対応を終わらせない、例えば「ありがとうございます」と言われたら必ずこちらから何か言葉をお返しする。お返しする言葉も、「とんでもないです」という言葉は使うべきではない、「とんでもないです」というのは意外なことが起こったときや強く相手を否定するときに使う言葉なので、それはあまりにも度が過ぎている、と。接客に対して熱心な先輩方がたくさん集まっていて、日々沢山のことを学ばせていただきました。

空港という日常とは少し違った空間では色々なことが起こります。突然目の前で人が倒れたり、手を振りかざして怒鳴るお客様がいたり。私が勤務を始めて半年ほどたったとき、不審者というか空港内で暴れた人がいました。ポールを振り回し自動扉を割られました。

恐怖はありましたが、その中で自分がお客様の安全を守るためにどういう行動をとらないといけないとか、苦情に対してどう対処すべきなのかというところで、どんなことが起こっても冷静さを欠かず、即座の判断力が求められる現場にいた経験というのは今でもいろんな方面で今活かせていると思いますね。

——仕事の中で一番の思い出や達成感のあったエピソードは何ですか?

大変な仕事でもお客様からの”ありがとう”という言葉があると疲れも吹っ飛びました。ありがとうという言葉は何度言われても嬉しかったです。

——確かにそれは嬉しいですね。勤務中に特に苦労した点などあれば教えてください。

大きな会社でしたので、入社2年目になると後輩が50人くらい一気に増えるんです。自分が先輩のように仕事を教えなければならないというプレッシャーがありました。どうやって教えてあげたら自分が先輩みたいに上手く育ててあげられるのかというところが難しかったですね。

——仕事の中で失敗したことや大失態を起こしたことありましたか?またその後はどのように対処しましたか?

新人の時の話ですが、苦情の際に上手に対応できなかった点です。「どうしよう、どうしよう!」とパニックになり黙ってしまったんですね。お客様は叫んでいるような状態だったのですが、その間をスーッと先輩が入ってくれたんですよ。

結果的にお客様の気が収まることはなく先輩が一方的に怒鳴られて終わってしまったのですが、その先輩は厳しいことで有名な先輩で、私は怒られるに違いないとびくびくしていたのですが、先輩は私を責めたりしませんでした。ただ「こういうことはあるけれど、知識不足という点は反省すべきところだから、そこを今度からできるようにしよう」と言ってくれました。

その時から私も後輩に対しての指導方法が変わった気がするんです。厳しい現場ではあるので、やはり指導時の口調は厳しくはなるのですが、後輩には指導する前に「悪いけど、私は他の先輩よりも厳しいよ。あなたの今の仕事というのは、怒られながら仕事を覚えていくこと。ただ、私の仕事はあなたの倍怒られることだと思っている。あなたがお客様に怒られるようなことがあったら、私が間に入るし、あなたがミスをしたら私が全部責任を取る。だから、ついてきてくれる?」と言うようになりました。

私のそういった指導方針を当時の後輩がどう思っていたかはわかりませんが(笑)そう自分で決めたことで自身の成長にも繋がっていったと思います。

Walt Disney Worldでの勤務について

——どのような仕事か、簡単に教えてください。

Cultural Representativeと言って日本語でいう”親善大使”をやっていました。アメリカ・フロリダ州のディズニーワールド内パークの一つ“エプコット“で働いていました。

エプコットにはワールドショーケースという、周るだけで”世界を一周した気分になれる”というエリアがあります。12ヵ国あるのですが、そのうちの1つが日本館なんです。その中のレストランでサーバーをしながらCultural Representativeとしてゲストと文化交流をするのが仕事です。主な目的は日本文化の素晴らしさを伝えることです。

——なるほど。そこでは日本語で話すのですか?

全部英語です。しかし、最初だけは「いらっしゃいませ!」と言います。

ディズニーで働いている人たちはみんな胸にネームバッヂをしているじゃないですか?そこには通常名前だけが書いてあると思うのですが、私たちは名前と出身地が書いてありました。

私の場合であれば「Ameri Toyama Japan」と書いてあるのですが、これも、出身地が書いてあることで会話の捌け口になるんですね。「富山ってどういうところなの?」「どこにあるの?」というようにお客様が知るきっかけにしてほしいからそういう表示にしているそうです。

あと名前もそうなのですが、アジア圏の名前というのは向こうの人には馴染みがないので、どうしても英語の発音で読んでしまうのですが、そこも訂正しなければいけません。

例えば”Marie”であれば”マリー”と呼ばれてしまうのですが、そこで「I’m Marie(まりえ)」とちゃんと名乗らないといけないんです。

——そこで働いていた時にはもう英語は問題なく話されていたのですか?

いいえ、全然でした。大学からディズニーで働くまでの期間で日常会話は特に困ったことはないですが、やはり専門的なことがどうしても話せなかったです。

転職したというのも、英語をもっと学びたいのもありましたし、やはりディズニーは接客が素晴らしいと言われていたので、接客を学びたいというのもありました。

未来の話になってくるのですが、将来的に「日本のことを英語で話せて広めていけるようなこどもたちを育てたい」という夢があるんです。その夢を実現するためにはまず自分が、日本のことを英語で話せる人になっていないといけないなと。

そんなときにたまたま募集を見つけて、日本の文化を教えるというところと接客をさらに深めていけるというところで自分のやりたいことにピッタリだと思いました。

——ディズニーの接客は確かに素晴らしいと思うのですが、実際に働いてる側になってみて「これは本当に身に付けてよかった」と思ったものはありますか?

空港会社で身に付けたものは日本語の接客だったのですが、向こうに行ったのは英語の接客が学びたかったからなんです。

英語というのは基本的にカジュアルな表現が多いですよね?敬語があまりないとか。ただ、ディズニーではそういった点でものすごくこだわっていて、「日本人として働くのだから丁寧な言葉を使おう」といって、海外の人もびっくりしてしまうような本当に丁寧な英語を教わったんですね。

他のレストランではほとんど使わないような丁寧な英語を身に付けられたのは良かったと思います。

——丁寧な英語とは例えばどういったものですか?

言い回しとかですね。料理の注文を受ける際に、「アレルギー食材はありますか?」というのをディズニー風に言い直すと「もしなにか本日召し上がれない食材やアレルギー食材などありましたら教えていただけないでしょうか?」というような差があるくらいの言い回しを習いました。

あとは、指先一つ一つにも気を使っていて、トイレのご案内をするときも手の動かし方というのが決まっていたり、お辞儀の角度も15度・30度・45度とちゃんとできているか毎朝チェックをしました。日本では当たり前のお辞儀も海外では一つのパフォーマンスになるくらい日本独特の大切な動作なんです。

——接客が本当にプロフェッショナルなんですね。

空港も空港でもちろん接客がプロフェッショナルでしたが、ディズニーはディズニーでまた違った海外ならではのプロフェッショナルな接客を学ばせていただきましたね。

——この仕事で一番苦労した点について教えてください。

体力面ですね。「いつ終わるんだろう…」といつも思うくらい1日が本当に長いです。シフトが4種類あるのですが、基本的に全員がオープンから最後のお客様が入るまで居るようなシフトでした。その中でも最後のお客様が終わって少ししたら帰れる人、さらに片付けが終わってから帰れる人、完全に片付けが終わるまで帰れない人という形です。

空港勤務時は勤務時間が1分でも過ぎたら先輩たちが「早く上がって!」と秒単位や分単位で動いているような職場だったのに対し、ディズニーはお客様をせかしたりしないので、いつ終わるのかわからないのが辛かったです。

あとは重い物を持つことも辛かったですね。鉄板焼きのお店で、常に10キロくらいのものをトレーの上に載せていました。相席スタイルなのでお客様のテーブルが8名からなんですよ。初めに1杯目のドリンクを聞くのですが、8人分のドリンクと「お水も下さい」と言われると16個持っていくことになるんですね。

毎回「うぉおおお!」と心の中で叫びながら運んでいました(笑)

——仕事を取り組む中で大切にしていることや心がけていたことは何ですか?

とにかくお客様を笑顔にすることです。どうしても毎日がルーティン化しますが、来てくださる人は初めてだったり、ここでの食事を楽しみにしてくださるリピーターさんも多いので”初心忘るべからず”を心掛けていましたね。

鉄板焼きのレストランなので、パフォーマンスとしてシェフがジャグリングをしながら色々なものを焼いてくれたり、ミッキーの形を野菜で作ってくれたりするんです。メインで楽しませてくれるのがシェフなのですが、そのサポートとしてゲストの気持ちを更に高められるかが私たちサーバーの腕の見せ所です。

シェフを待っている間もゲストに楽しんでいただけるように、こどもがいたら折り紙を折ってあげたり、名前を漢字で書いてあげたり。お箸を使いたいけれど上手に使えないという子にはお箸の先をゴムで止めたりするのですが、魔法のように一瞬でパッとやってあげると喜んでくれます。あとは歌を歌いながら仕事をするサーバーさんもいますね。

お客様を送り出す際も、「Have a nice day!」ではなく「Have a magical moment!」とか「Have a magical day!」と言います。やはり、ディズニーは夢が溢れた魔法の国なんですよ。ですから私たちも出来る限り、ゲストに魔法を見せてあげたいという気持ちで働いていました。

BRICKsでの勤務について

——どのような仕事か、簡単に教えてください。

電話や映像などの通訳です。ジャンルでいうと、自治体、金融、IT、医療、消防、ショッピング、レンタカーなどですね。その他に翻訳業務もしていました。

——この仕事をするのにあたってどんな学習をしましたか?

通訳に必要な専門用語や知識を自身で調べメモしたり、先輩方の過去に通訳した録音を毎日5時間聞いて復唱したりもしました。

——この仕事の魅力や、やりがいを教えてください。

通訳を通して、クライアントやお客様から”ありがとう”とお礼を言っていただいたときにやりがいを感じますね。

——仕事の中で一番の思い出や達成感のあったエピソードは何ですか?

入社後、社内史上最速で通訳者としてデビューしたことです。当時は英語チームに日本人が私しかおらず、プレッシャーもかなり感じていたので毎日必死に勉強していました。そのことが結果として現れ嬉しかったのを覚えています。

——この仕事で一番苦労した点について教えてください。

ジャンルを問わず通訳をしなければならなかったので、それぞれのジャンルでの専門用語や知識を全て頭の中にいれるのは大変でしたし、時間がとてもかかりました。医療通訳に関してはそれこそ語彙が無限にあるので先輩からやってもいいと許可がでてからも常にドキドキしながら行っていましたね。

塾講師について

——どのような仕事か、簡単に教えてください。

基本的には小学生から高校生までの学習指導です。あとは月1回のイベント企画なども行っています。

——この仕事をしようと思ったきっかけは何ですか?

将来日本文化の素晴らしさを海外の人に伝えていけるこどもたちを育てていきたいという思いがあり、英語指導を自己流だけではなく、今の塾長の元できちんと学びたいと思ったからです。

——この仕事をするのにあたってどんな学習をしましたか?

学生が学ぶ文法一つ一つに対し、どうすればわかりやすく説明できるか色々な問題集を読み、模擬授業を上席の前で練習しました。

——この仕事の魅力や、やりがいを教えてください。

生徒の成績があがった、英検に受かったと嬉しそうに報告してくれる時に、教えててよかったと思いますね。

——英語を話せても「教える」となると非常に難しいと思います。生徒への英語指導で工夫していることはありますか?

生徒との信頼関係をつくることですね。授業に入る前には必ず少し雑談を交えるようにしています。また、形式ばったものではなく生徒の成績や性格から判断し、同じ内容でも生徒一人一人指導方法を変えるようにしています。

また、英語に対して壁を感じないよう出来るだけシンプルな表現を使うようにもしています。

——羽村さんの観点から「こういう生徒が英語力伸びやすい」という特徴はありますか?

本を読むことが好きだったり、言葉の表現幅が広い、日本語力の高い生徒は伸びやすいと思います。

その他

——現在は塾講師、飲食店、モデルなど枠に囚われず様々なお仕事をされていますが、これにはどんな思いがありますか?

夢は一つじゃなくて良いですし、自分がそれぞれの夢に対して真剣に一歩一歩向かっていけば、形は違ったとしても叶うのだと将来を担うこどもたちに示したいです。

特に英語に関しては無限の可能性があると思っています。英語を通して空港やディズニーワールドという貴重な場で働かせていただくことができたのももちろんですが、幼少期のころ、医者になって病気の人の手助けをしたいと思った時期がありました。今、大人になり医者という立場でなくても通訳として医療に携わることができました。自分のスキルがどんな形であっても人の役にたてることがあれば好奇心をもって挑戦していきたいです。

——これまでの携わってきた仕事以外にもやってみたい仕事はありますか?

小さい時に色々な習い事をさせてもらっていたので趣味はもともと多い方だと思います。ですので、自分の持っている技術の中でどなたかが求めてくださっているようであれば何でもやりたいなと思います。

ジョブホッパーだとかふらふらしていると思われるかもしれないですが、私はその人が何か求めていることで私が出来ることであれば何でもやってあげたいと思うし、何でもやりたいです。今は音楽の方面でもお声をかけていただいているのでそちらも挑戦してみようかなと思っています。

——これから英語を学ぼうとしている社会人や英語初心者に勉強のアドバイスやコツがあれば教えてください。

机に向かって勉強することも大切ですが、まずは英語の発音を聞いて真似てみることが大切だと思います。動画も見られるのであれば口の形も真似てみると効果がでると思います。発音が綺麗に出来るようになると英語学習もどんどん楽しくなっていきますよ。

インタビュアー:岡田 ティナ
取材場所:Dod Cafe立川

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ライター(詳しいプロフィールを見る

10歳までをフィリピンで過ごした英語と日本語のバイリンガル。優れた英会話力を活かし、初心者が抱く英語の疑問を解消する「ペラペラ英語塾」の記事を担当。また、英会話スクールやオンライン英会話、英会話カフェ等を体験してのレビュー記事も担当しており、体験したサービスの数は30以上を数える。

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